平成27年度 茨城県立高校入試問題 国語 古文 口語訳

本居宣長「うひ山ぶみ(初山踏)」

(原文)詮(せん)ずるところ学問は、ただ年月長くうまず怠らずして、はげみつとむるぞ肝要にて、学びやうは、いかやうにてもよかるべく、さのみかかはるまじきことなり。いかほど学びかたよくても怠りてつとめざれば、功はなし。人々の才と不才によりて、その功いたく異なれども、才不才は生まれつきたることなれば、力に及びがたし。
されどたいていは、不才なる人といへども、怠らずつとめだにすれば、それだけの功はあるものなり。また晩学の人も、つとめはげめば、思ひのほか功をなすことあり。また暇(いとま)のなき人も、思ひのほか、暇多き人よりも、功をなすものなり。されば才のともしきや、学ぶことのおそきや、暇のなきやによりて、思ひくづれて、やむことなかれ。とてもかくても、つとめだにすれば、出来るものと心得べし。すべて思ひくづるをるるは、学問に大いにきらふことぞかし。

(口語訳)とどのつまり学問は、ただ年月を長く倦むことなく怠ることなく、励み努力することが大事なのであって、学び方は、どのようであってもよいもので、それほど拘らなくて良いものである。どれほど学び方が良かったとしても学ぶのを怠って努力しなければ、成功できない。またその人に才能があるかないかで、その功業の度合いはたいそう異なるけれど、才不才は、生まれ着いてのことであるので、努力では及びも付かない。しかし大抵は、才能のない人であっても、努力し励んでいれば、案外功業を残すこともある。また忙しくて時間のない人も、案外、暇のある人よりも、功業を残すものである。したがって、才能が乏しいことや、学び始めるのが遅かったことや、暇のないことによって、学問への思いを断念して、やめてはいけない。とにもかくにも、努力さえすれば、学問は出来るものであると理解することだ。何事にせよ断念することは、学問においてたいそう嫌うことである。

作者注:過去、近隣の某中学校の中3定期テストで同じ文章が出題されていました。
「とてもかくても、つとめだにすれば、出来るものと心得べし」蓋し名言です。
「すべて思ひくづるをるるは、学問に大いにきらふことぞかし」意訳すれば「あきらめたら そこで試合終了ですよ…?」本居宣長と安西先生。素敵な大人の素敵な人生哲学は似ていることがわかります。

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